ブログ「白い紙」管理人はこんな人です【1】。幼少期~大学生まで。

子ども時代

神奈川県横浜市の小さな町で生まれ、育ちました。

活発でスポーツ万能!・・・なのは弟のほうで、管理人はひとりでお絵かきをするのが好きな子どもでした。

 

両親共働きだったこともあり、放課後には家で親の本棚から色んな本を引っ張り出してきて読んだり、絵を描いたりする時間が好きでした。

小学校では図画工作のI先生がいろんなコンクールに絵を出してくれたおかげで、図工の教科書に作品が載りました。

 

近所に住んでいた男の子に借りた漫画「幽☆遊☆白書」にハマって、キャラクターのイラストを描き続けました。今でも大好きな漫画です。一番好きなキャラクターは蔵馬、その次が桑原です。

↓管理人の「幽☆遊☆白書」愛をしめす動画↓

小学校時代は新聞係にハマり、友達と凝った内容の学級新聞を発行していました。ブログを書いたり発信するのが好きになったのは 当時のクラスメイトが自分たちの作った新聞をしっかり読んでくれたおかげだと思います;;

 


 

思春期

  • 中学校時代は美術部で毎日絵を描いていました。顧問の先生が油彩画家で、美大出身だったこともあり「絵の道を進むなら美術大学進学」ということを考えはじめました。
  • (アニメや声優には詳しくなかったけれど) やっぱりオタクだったので、にぎやかな集団には溶け込めず中2らしい世界にこもりながら過ごしていました。
  • 高校1年生のときに小学校時代からの友人と2人で、長野県へ旅行に行きました。当時の旅は、何から何までアナログでした(携帯電話などはない時代だったので)。

↓そのときの旅紀行をつづったノートが発見されました↓

携帯もネットもない時代の、女子高生2人旅~アナログ手段で長野県を旅した記録

  • 美大進学を目指して親を説得し、高校入学と同時に美大受験のための予備校に通いはじめました。好きな絵は深夜に自宅で描いていたので、予備校では受験対策の訓練と割り切って通っていました。
  • 当時は女子高生ブーム真っ只中。管理人は女子高に通っていましたが、やっぱり自分はサブカル好きのオタクだナと一歩引いて生活していました。

↓当時の和ゴス文化をしのびつつ書いた記事↓

30代から見た着物文化メモ・・・「着物好きのお姉さん」から「和ゴス」まで。

  • 当時は携帯電話など持っていなかったので、小説雑誌で知り合った東北地方に住む女の子と文通をしていました。色んな話が出来て、今でも彼女は恩人であり大事な友人です。
  • 武蔵野美術大学に現役合格。予備校の先生方には本当にお世話になりました。高校3年間を受験のために捧げていたので、高校ではあまりパっとしない生徒だったと思います。また、第一志望だった学校には合格ならず。受験戦争の厳しさも知りました。

 


 

大学生時代

高校生活3年間は、ほとんど遊ぶことなく受験のために生活していたので

大学生になってからの開放感に酔いしれました(笑)。

大学の設備や講義、授業がとても楽しくて面白くて、大学構内はまさにアミューズメントパーク

また大学1年生から、美大受験予備校講師と、漫画家のアシスタントのバイトを始めました。

 

下宿生活だったので、アルバイトは生活費の助けになりました。

当時は一か月の生活費を、家賃・食費・光熱費こみで10万円以内でおさえていました。

予備校や漫画アシスタントが忙しくなる時期には、30日間休まずにバイトしている日もありました。

また、知り合いの飲食店のアルバイトもしていました。

アルバイトは、知らないことだらけで大変なこともありましたが

予備校の経営陣の先生方や、漫画家の先生、周りの大人にたくさん面倒を見て頂けたおかげで

「お仕事ってこんなに楽しくて勉強になるのか」と感動しながらの大学生活でした。

 




 

予備校ではデッサンはじめ実技を担当していました。「描く行為」を言葉に置き換えて説明するむずかしさを知りました。

漫画アシスタントでは、女性雑誌に連載されている先生の自宅兼事務所に通って イチから漫画原稿の描き方を教えていただきました。

また、出版社の豪華なパーティーに連れて行っていただき 雲の上のような漫画家の先生方や芸能人の方達を間近で見ることが出来ました。

 

今までまったくの別世界だった漫画界を垣間見ることができたのと同時に、1つの雑誌に在籍している漫画家さんと漫画家志望者(アシスタント)の人数を目の当たりにして

「ここで勝ち抜いていくってすごすぎる・・・」と現実を知りました。

 





このあと、大学卒業後のことも書いていきます。