映画「アントニオ猪木をさがして」を観てきました。
映画「アントニオ猪木をさがして」を観てきました。
私がアントニオ猪木好きなのを知っている旦那さんが、「シネマアイリスでやってるよ、見てきたら」と教えてくれました(ありがとう!)。
アントニオ猪木の映画を函館で上映してくださってありがとう。
シネマアイリスさん、ありがとうございます。
私とアントニオ猪木
いつも思い出すのは、八方塞がりだった20代のある夕方。
羽田空港から電車に乗ろうと重いキャリーを引きずりながら駅構内を歩いていたときのことです。
進行方向の真ん中にある柱の一面に、
当時出たばかりのフリーペーパーがびっしりと設置されていました。
その雑誌の表紙がモノクロの アントニオ猪木の顔面アップで、
それがとんでもないインパクトで・・・思わず一冊持ち帰りました。
それまでも、アントニオ猪木の自伝や詩集にひかれて彼の言葉は読んでいました。
だけどそのときは、フリーペーパーに掲載されていたインタビューとともに、
アントニオ猪木の顔面の強烈なパワーが、これまでにないくらいぶつかってくるのを感じました。
今でも思い出せる、あの駅にびっしり並んだ顔と
家に帰ってから開いたフリーペーパーの誌面。
それは、闘魂とか熱血とかとはまた違っていて
静かで、美しくて、甘さは皆無で
かつとてつもない優しさがあり、
巨大な滝の前で水しぶきを浴びているような清涼感を感じました。
こういった個人的体験の中で、私はアントニオ猪木の言葉をいっそう追うようになりましたが
だから人生が好転したとか、自分が変わった…とかは言いたくありません。
アントニオ猪木がもたらした掴みどころのない、
理由も理屈もわからない強烈な体験と印象はいまだに続いています。
「なんでアントニオ猪木が好きなの?」と訊かれても、いまだにきちんとした答えができません。
言葉で言い切ってしまうことがイヤだという感覚もあります。
「アントニオ猪木をさがして」感想
映画タイトルの「アントニオ猪木をさがして」のアンサーは、
結論「アントニオ猪木をさがしても見つけることができない」というものだと思うのですが
「そうでなくっちゃ」というのが私の感想です。
「アントニオ猪木に影響を受けた様々なジャンルの人物が猪木を語るドキュメンタリーパート、ファン視点のドラマパート、貴重なアーカイブ映像で、アントニオ猪木の真の姿に迫る。」
引用:wikipedia
一番嬉しかったのは、アントニオ猪木が少年時代を過ごした農場や、力動山に見いだされた市場の場面でした。
こういったルポは、ドキュメンタリー映画でないと実現しないので…やっぱり嬉しいです。
アントニオ猪木の自伝に力動山とのエピソードが書かれていますが
アントニオ猪木の力動山への気持ちと、
(今回の映画に出演した)新日本プロレスの選手たちが抱く、アントニオ猪木への気持ちは多少、重なる部分があると思いました。
ですが、今回の映画内には時代・世代が違うことに加えて アントニオ猪木という人の優しさが滲む証言も多く
アントニオ猪木ファンならすでに知っていることが多い内容だとしても
映画として観ることができて良かったです。
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実は、私はアントニオ猪木の試合よりも書籍からファンになりました。
自伝や詩集を繰り返し読みました。
「詩集?」と思う人もいるかもしれませんが、
アントニオ猪木詩集、いいんです。真っすぐで、こんなに直球の言葉を出せる人は、いないんじゃないか。
十数年来の愛読書です。
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今回の映画作品内で、ドラマパートの青春篇だけはちょっと?でした(おそらく詩集の存在を引き合いに出すためなのかな?)が、それでもやっぱりアントニオ猪木の言葉はいいものです。