今日の散策~函館大森、かつての花街(遊郭)跡。函館ロイヤルホテル、Jazz spot Leaf

 

今日は所用で函館駅前へ行きました。

1時間ほど早く到着して、朝の函館大門地区を歩いてきました。

 

 

この一帯は、函館最後の遊郭の跡地です。

ちなみに、現在しまむらが建っている場所に以前あった蔵は、花街なごりとの噂もありましたが

関係者に確認したところ とくに遊郭とは関わりのない蔵だったそうです。

 

 

 

道路をはさんで向かい側には、「駆梅院」(女性たちが毎週検査を受け、性病に罹った場合には入院する病院)がありました。

 

 

 

こちらのお宅が、当時から残る唯一の建造物です。

 

 

このホテルは、かつて「青函ホテル」という宿屋があった場所です。(経営者は変わっています)

 

 

 

函館ロイヤルホテルを建設する際に、地中から多くの女性のお骨が見つかりました。

これは、花街で亡くなった女性たちのお骨が無縁仏にならないよう、ここに住んでいた方が自宅の地下にお骨を引き取っていたそうです。


 

用事をすませて、向かった先は大好きなお店 Jazz spot Leaf。

大門かわら版を読みながら、ほっとひといき。

 

 

 

ランチには、数量限定の「トーストセット」をいただきました。

もう6回くらい食べているでしょうか、、安心するメニューです。

 

自家製パン、ちょうどいい焼きかげんの目玉やき、ぷりっとしたウィンナー。

きれいにカットされたトマトときゅうり、たっぷりのサラダ。

 

ごちそうさまでした^^。

 

 

 

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今日の散策~函館大森、かつての花街(遊郭)跡。函館ロイヤルホテル、Jazz spot Leaf” に対して4件のコメントがあります。

  1. 加藤 満 より:

    1984年の3月までこの辺に住んでいてその後内地(本州)へ渡ったものです。(今は横浜在住)
    大森に遊郭があったのは知りませんでした。
    明治~大正には湯の川から大森までプチ砂丘があったらしいです。
    函館はなぜか空に関するニュースが多く、
    ①mig25強制着陸事件
    ②函館空港ハイジャック事件
    ③横津岳YS11墜落事件
    等々
    調べてみると面白いかもしれません

    1. Tsukimura より:

      加藤 満さま
      コメントありがとうございます!
      大森周辺の遊郭は、函館最後の花街だったようです。
      湯の川から大森まで、砂丘が!今とまったく違う景観だったのでしょうね、。
      函館の空に関するニュース、教えてくださってありがとうございます!

  2. 大森浜が好き より:

    お邪魔します。
    現在58歳 札幌在住です。
    1967の2歳から遊郭跡地とも知らないまま住んでおりました。
    旧青函ホテルの並びに二軒の元 旅館?のような古い長屋でした。
    確かキツヤアパートと呼ばれていた記憶があります。アパートになる前は、おそらく、赤線廃止の後、大火の跡に旅館に建て替えたのかもしれません。
    黒檀のような黒く長い廊下の両サイドに多数の部屋があり、表玄関から2番目の階段の手すりが艶があったであろう彫り物を施した漆塗りの物がありました。増築したのかわかりませんが、階段が4〜5ありました。(部屋の改築などで階段が増えたり減ったり)
    そのうちの一つの階段に昔の旅館の名残りを感じました。
    共同トイレのドアが洒落たステンドグラスでしたね。住んでいた当時は暗く長い廊下が子供心に怖いなぁ‥と思いながら畳二畳もある裏玄関から通学してましたね。隣のアパートも古く、中の作りは完全な旅館。部屋に床の間の有る部屋など間借りにしてました。
    遊郭跡のこの界隈のアパート(元 旅館)は、どこか賑わった遊郭の名残りを静かに伝えるような造りをしてましたよ。
    一軒家は幼馴染のお兄さんのお宅です。当時は1番新築でした。
    その並びの角にあるアパート( 一角にコインランドリー)が今は1番古い建物かと思います。築年数60年以上かも知れません。向かって右側の下にある窓は昔ながらのトイレの窓です。そこは初めからアパートとして建てられてました。アパートの一角は縄のれんと店内の床は艶のある黒い玉石が引き詰められたスナックでしたよ。この界隈は祖父が若い頃に函館大火を目の当たりにしていた話を聞いた事があります。
    五稜郭の奥地、神山から見えたと聞いています。時期は違いますが、大沼駒ケ岳の噴火と函館大火の時を経験。
    亀田川(地元では新川と呼んでいた)の橋まで五稜郭裏の神山から馬車で救助に向かったとの事です。この一帯は猛火となり、火柱の竜巻で飛んで来た鉄板で背中のお子さんの首が飛ばされたと‥橋は焼け落ち、川は助けを求める人で溢れ、溺死体で埋め尽くされて手の施しようも無かったと悲しげに話してくれました。遊郭跡地界隈は焼け野原だったとの事です。函館遊郭はさぞ賑やかだったことでしょうね。大門と言う名前だけはこの先も残って欲しいものです。ちょうど大門があった場所に、立派な石造りの拓銀がありました。函館遺産になりそうな造りのあの建物が壊された事も非情に残念でした。懐かしさのあまり、長々とお邪魔してしまいました。もしかしたら、歴史に残る偉人さん方が函館遊郭で時を過ごしていたかも知れませんね。では、失礼しました。

    1. ツキムラ より:

      大森浜が好き さん
      貴重なお話を聞かせてくださり、ありがとうございます!
      キツヤアパートなど当時の情景が浮かび、ドキドキしました。
      私たち(昭和50年代生まれ)の世代は、親・祖母の代から話を聞くことでした当時を知ることができません。
      函館の遊郭は、大火のたびに移転を繰り返して最終地が大門地区だったと聞いています。
      数冊の書籍(ほとんど個人出版)と、たまに出る記事や思い出話が当時の大門への道しるべです。
      またいつでも、コメントを頂ければ嬉しいです。
      歴史に残る方たち、きっと大森浜からの海風をあびながら函館大門の郭町を歩かれていたことでしょう^^!

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