遺愛女子中学高等学校の本館保存修理工事を見学させて頂きました
146年の歴史がある遺愛女子中学高等学校では、現在本館の保存修理工事が行われています。
11月のはじめに遺愛女子中学高等学校の先生にお声がけいただき、美術関係者として修理工事の現場を見学させていただくことが出来ました。
写真撮影とネットへのアップにOKを頂いたので、当日撮影させていただいた写真と解説頂いた内容のメモを載せていきます。
解説では、たくさん興味深い内容をお話頂いたのですが
その中から私がメモすることが出来た内容はごくごく一部です。
その一部をメモのようなかたちで掲載します。
(もし間違いや修正箇所がございましたらぜひコメントにてお知らせください。)
遺愛女子中学高等学校公式サイト
http://www.iaijoshi-h.ed.jp/main/index.php
修理現場で最初に見せて頂いたのはこちらでした。
床板をはがした、建物の土台部分です。
・これらのレンガは函館で焼いたそうです。
・土台が腐っている状態です。
・明治時代の防湿シートが使用されているそうですが、この防湿シートが「現在とほぼ同じもの」だそう。凄いですね。
・建物としては、要所要所は腐っているけれど 「全体は健全な状態」とのことでした。
・明治時代に建てられた校舎ですが、つくりとしては現代構造があちこちで使われているそうです。ツーバイフォー建築のように規格が一定の木材でどんどん作業するような、合理的なつくりとのことでした。
・1908年の完成で、一年半くらいで作られた建物がまだ残っているというのは驚きです。
・暖房は、建設当初からセントラルヒーティングとストーブが併用されていました。しかし少し寒い時や、寒い時の補助としてストーブも使われて
・遺愛女子中学高等学校の校舎は、建設当時のアメリカの技術がダイレクトに伝わっています。通常なら日本人が米国に勉強に行って技術を持ち帰り、国内の技術をすり合わせて建設を進めるところですが、遺愛女子中学高等学校の場合はアメリカの技術がそのまま使われているそうです。
・昔、玄関口として使われていた扉を見させてもらいました。1300名の生徒が出入りする玄関にしては狭い作りだけれど、「きちんと機能していたのは生徒が優秀だったから」・・・大勢の学生さんがきちんと並んで校舎に出入りしていたということでしょう。さすが遺愛の学生さんですね。
・遺愛女学院が創立した当初、80名だった生徒さんはあっという間に200名にまで増えたそうです。そして1300名にまで!
・現在の遺愛女子中学高等学校の校舎が建ってから、周りにアメリカ風の建物が増えたそうです。それまで学校の周辺は原生林が多く、大自然の中のミッションスクールという趣でした。=周りの環境に影響を与えた建物といえます。
・講堂は、日本の学校の体育館のように真正面にステージがあるつくりではなくステージから見て斜め45°に座席がありました。
・文化財でここまで現役の建物はここだけだそうです。現在残っている建物はあっても、建築当初と同じ目的で使われているという点が遺愛女子中学高等学校の素晴らしいところです。
・通常のミッションスクールは礼拝堂が別棟ですが、遺愛女子中学高等学校は内部に入れ込んで礼拝堂が作られていました。とても珍しい形だそうです。
・遺愛女子中学高等学校のような学校は国内に他にはなく、本場アメリカにも現在は残っていないのでは?とのことでした。
絵を描く者として興味深かったのは、校舎の色についてでした。
・上のスクリーンに映し出されているように、遺愛女子中学高等学校の校舎は 最初は深緑(クロームグリーン)でした。その後ピンクに塗り替えられました。
・上の写真で、奥にあるサンプルがもとの緑色の壁です。この緑色に、赤い屋根と白いアクセントの建物でした。その後、手前の現在のピンク色に塗り替えられました。
・最初はアメリカ人の先生が手掛けたので、大自然の中に溶けこむようなイメージで深緑にアクセントカラーというセレクトだったのでは、とのことです。その後、日本人の先生が増え日本の時代背景を受けながら色も変化していったそうです。
・ピンクになった理由として考えられるのは、戦後復興が進む日本国内を反映し 明るい柔らかい色彩が好まれたのでは?とのことでした。美智子様のご成婚=ミッチーブームなどで戦後ピンク色が人気になったことも影響しているかもしれません。
・元町界隈にもピンク色やクリーム色の建物が増えた時期、遺愛女子中学高等学校もピンク色に塗り替えられています。
・今回の修理にあたり生徒さんに「建設当初の緑色と現在のピンク、校舎の色はどちらがいいか」見学会の際に聞いたところ、結構好意的な反応だったとのこと。
(たぶん私も緑色と答えたと思います)。現在は鬼滅の刃の人気からもみれるように、ポップだけどレトロなカルチャーが人気なので、若い人は当時の色彩に親しみを覚えるかもしれません、というお話も出ました。
・昭和10年の改造の際につぶされた階段が出てきたようすです。
・下の写真、板に「秋田」の文字が見えます。「秋田前製材」と記されています。現在もある会社だそうです。
・遺愛女子中学高等学校はアメリカの技術で建てられていますが、施行は日本人とのことです。(滋賀県の「建築十字組」という名前を聞きました。)
・今回はなんと屋根にも登らせていただきました!屋根は「キャンバス地にアスファルトを塗って」作られているそうです。上の写真でそのようすが見えるでしょうか、。
・煙突も、大工さんによって補修中です。
・当時の建材は取り外されたあとも分類して保管され、また同じ場所に使われる予定です。素晴らしい知識と技術ですね!
このたびは貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました!!
函館で1874年に創立された遺愛女子中学校・高等学校の校舎(文化財指定)。本日、美術関係者として修復中の現場を見学させて頂きました。
昔は「ミセスカロラインライトメモリアル女学校」という名称だったそう✨明治時代にアメリカからダイレクトに導入された建築技術により作られた珍しい建造物です。 pic.twitter.com/26TJjuoVMT— 月村朝子 (@tukiasa2) November 5, 2020
帰りに工事中の土台を見ると、どこからか飛んできたヒマワリのような植物が芽を出していました☺
工事が終わり、またこの素晴らしい校舎で生徒さん達の生活が始まるのが楽しみですね♪