ありがとう、さようなら函館棒二森屋ビルとインデペンデンスストア

20代半ば、色んなことがあって疲れてしまい、東京からふらっと函館に来たことがある。

祖父母の代からゆかりのある函館の街は、なぜかいつも自分の味方でいてくれる気がした。

駅前のルートインホテルに宿をとったが

誰にも会いたくないしどこへも行きたくない。

 

 

当時、仕事でもプライベートでも激務が続き、絵が描けなくなっていた。

絵が好きで親に無理をいって負担をかけて美術大学まで出してもらったのに

絵が描けなかった。

 

 

かなしくて、持ち歩いていたコピー用紙(旅程のメモ用)に

部屋に備え付けのボールペンでイラストを描いた。

下手くそだと思ったけれど、

その十数分が、かけがえのない時間になった。

「まだ描けるんだ」

とわかったらホッとして

そのまま泥のように眠った。

 

 

目が覚めると少し元気が出たので

早朝の函館駅前からまっすぐ歩き 海沿いの大森稲荷まで行ってみた。

横道にはいったところの個人商店で、子ども用のキャラクターソーセージと駄菓子を買った。

宿に戻って、ソーセージと駄菓子を食べてみたらいい気分になったので

メイクをして、10時になるのを待って、駅前のWAKOデパートへ。

 

 

一階のセレクトショップへ入ると Hemのバッグがたくさんディスプレイしてある。

当時Hemは流行っていたけれど、都内でも東急ハンズとかロフトなどにしか取り扱いがなくて

北海道ではほぼ見かけなかった。

ちょうどバッグが欲しかったので物色していると、店長らしい男性が声をかけてくれた。

 

 

「こんなにHemのバッグがあるんですね」と言うと

「北海道ではこの店と、あと札幌の●●くらいしかこれだけの数は入荷してないからね」との答え。

じゃあ思い切ってこのお店で買おうと思って、

コットン地でできたジップ式のボストンバッグを手に取った。

 

すると男性は

「あなたくらいの年齢になったら、『いかにも布』っていうバッグより

もっと素材感が高級なバッグを持ったほうがいいですよ」

と言って キャンバス地に特殊なコーティングを施したメタリックなバッグを勧めてくれた。

 

そのバッグがこれです↓。(渋谷にて撮影)

 

 

このバッグで漫画の持ち込みに行き、ちばてつや賞を頂きました。

授賞式の日も、取材旅行にも、このバッグで行きました。

横浜から北海道へ移住するときも、職場や取材先へもこのバッグで行きました。

10年ほど使い込みましたが、まったくヘタらず傷もつかず、

最高のバッグでした。

 

 

この時から、函館駅前のセレクトショップ・インデペンデンスストアには何度も足を運んで

バッグ・帽子・靴や服などを購入しました。

店長さん(?)がいらっしゃるときもあったし女性スタッフの時もあったけれど

そんなにたくさんのお買い物は出来なかったと思うけれど、

私にとって大事なお店でした。

WAKOから旧棒二森屋アネックス館に移転したときはホッとしたけれど

その旧棒二森屋アネックスのビルが、本日をもって閉館。

 

 

47年間。

店長さんは、少し休みたいとおっしゃっていました。

私はもう言葉もなく「休んでください」としか・・・。そして

「ありがとうございました」と。

 

「横浜市民だったときに店長さんにバッグをオススメして頂いて、

それからもお店でお気に入りの帽子やバッグに出会えました。

今は、函館市民になって 結婚して子どもも生まれました。

楽しい時間をありがとうございました。」

 

店長さんは、私にとって

函館駅前ビルのシンボルです。

半世紀近くものあいだ、函館駅前で

最新のアパレルを発信し続けてくださってありがとうございます。

 

 


 

 

 

 


 

大学に入った年の冬、私は東京から函館に直行した。

まだ雪のない函館駅前で母と落ち合った。

駅前の棒二森屋デパートで、母と選んで祖母にカーディガンを買った。

 

店内の照明が黄色っぽくて、天井が低い、昔ながらのデパート。

階段の壁は地元の小学生が描いた元気な図画で埋められている。

 

柔らかで、落ち着いた明るいブラウン色のカーディガンは祖母に似合うと思った。

函館市内の父の実家に着き祖母にカーディガンを渡すと、「こんなにいい服をもったいない」と言って

膝に広げたまま、タグがついた胸のあたりを撫でている。

私と母は「おばあちゃん、似合うよ。着てね」と言って、祖母にカーディガンを羽織ってもらった。

それから、居間で祖母と母と私、三人で並んで記念撮影をした。

 

数年後、祖母が亡くなって 戸棚から畳まれたままのカーディガンが出てきた。

タグはついたままだった。

 

数十年前。

祖母は日曜日になると、

子どもだった父、おば、おじの手をひいて棒二森屋へ行ったそうだ。

生活にゆとりはなく「見るだけだからね」と念を押されて

幼い子どもたちはデパートの中を歩き回った。

 

 


 

函館駅前はどんどん変わっていく。

変化はとても大事だし、昔をしのんでばかりもいられない。

けれども、

ああ、本当にひとつの時代が終わるんだなという気持ちで

今日を過ごしました。

 

かなしくて、旧棒二森屋アネックス館へ行けなかった私に

「行ってみようよ、撮影もしてくれば」と連れ出してくれた家族に感謝です。

最後に行くことが出来て良かったです。

 


 

 

 

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