描きたいものを描くために描きすぎない練習
今日は久しぶりに「自分のため」の絵を描きました。
年末年始の個展制作では、知らず知らずのうちに「人に見せるための絵」を追いかけていたので
ひさしぶりのリラックスした制作でした。
本当なら、人にも自分にも同時に向き合える制作が出来ればよいのですが
私はまだまだ、その域には達していません。
以下、今日の制作記録です☆
さらっと明暗を見ながらかたちをとります。
少しずつ特徴を描きこんでいきます。
特に暗いところ・濃い色のところにアクセントをのせていきます。
ちょっと描きすぎてしまいました。
描きすぎたことで絵がカタくなってしまい、
モデルさんの魅力である柔らかさが無くなってしまいました。
練り消しゴムで修正をしながら、描き過ぎた部分を削いでいきます。
と同時に、細かいタッチをつぶして大きなタッチで整えていきます。
モデルさんの表情が柔らかくなったな、と思えるところで描くのを止めました。
SNSなどの普及により、近年は写真を丸写ししたかのような細密画が「巧い絵」として認識されることもあります。
・・・たとえば人物の肖像写真を写して描く場合ですが、
まず その被写体の肖像権がありますね。
次に、その写真は 「撮影したカメラマンの作品」だという前提があります。
他人が撮影した写真をまるごと描き写すというのは、被写体と撮影者(ほかにも、照明スタッフとか場所や衣装の提供者とか、、)の作品を 安易に自分のモノにしてしまうという事になります、、。
趣味の範囲ならOK(?)とか、認識の仕方は様々ですが
私は、写真を写真のように写して描くことには危惧を感じています。
二次元⇒二次元というコピーばかりを繰り返していても描く腕は上がりませんし(コピー能力は上がりますが、)
三次元の空間を認識する力がどんどん薄れてしまうためです。
今日のタイトルは「描きたいものを描くために、描きすぎない練習」としましたが
私自身、ラクで簡単な二次元⇒二次元という描き方にはまらないように日々気を付けています^^;
最近では、写真や資料をトレースして描くことも一般的に普及してきて
そうなってくると、絵を描く必要性が無くなってしまいますよね。
写真を、絵画っぽく加工すればいいだけの話になってしまいます、、。
でも、絵画作品を生で観賞するとよく分かるのですが
絵画と写真とは まったく別の表現手段です。
その絵画ならではの実感を忘れないためにも、
何もかもを正確に描きこむのではなく
絵画空間の中にしかない、揺らぎや空気感、質感などを 出来るだけ新鮮な状態で
描けるようになりたいな~と思っています。
今日は、そんな練習でした。