漫画家デビューから10年|持ち込み・投稿の経験をざっくり|デビューまでにやったこと

 

管理人の職業のひとつに「漫画家」があります。

2008年に講談社のモーニングでちばてつや賞青年部門で入選し、デビューしてから はや10年。

現在漫画のお仕事はプロダクションから単発で受注していますが(2021年からは工房経由で受注)、

20代後半~30代前半までの数年間は漫画のお仕事メインで生活していました。(単行本は出ておらず、連載漫画はウェブマガジンがメインでした。)

 


 

講談社「モーニング」でちばてつや先生の賞を頂いてから10年目ということで、こちらの記事では

漫画家としてデビューするまでにやったことを中心に

私の体験談を、所感を交えて ざっくり書いていこうと思います。

 

 

10年前のことですので、現在とは色々違っていることもあるかと思いますが

これから漫画家としてデビューしたいと思っている方、またお子さんが漫画家を目指している方などの「豆知識」になれば幸いです。

 


以下、5つに分けて書いていきます。

 

1・漫画の持ち込みをする前のこと。~子ども時代から漫画が好きだった~

2・初めて出版社へ漫画持ち込み。~名刺すらもらえなかった数か月間~

3・新人賞に向けて漫画制作と持ち込み。~下準備・制作・持ち込み・手直し~

4・その後のこと。~受賞はスタート前のスタートだった~

5・漫画家は なるよりも続けることがむずかしい~王道も正解もない道~

 


 

1・漫画の持ち込みをする前のこと。~子ども時代から漫画が好きだった~

 

*漫画を応募する際に、原稿を直接編集部へ持参して 編集さんにその場で読んでいただくことを「持ち込み」といいます。一方、郵送などで原稿を送付する方法もあります。

 

 

↑が、私が最初に頂いた漫画の賞です。

 

25歳の時から漫画の持ち込み(投稿を)開始して、

26歳で ちばてつや先生の賞を受賞し、デビューとなりました。

 

たった1年で結果が出たの?と思われるかもしれませんが、そうではありません。

 

美大に入学してからすぐの頃から、1~2年間ほど漫画家さんのアシスタントをしていました。

そのアルバイト先で、漫画原稿の描き方、漫画家さんのお仕事内容、漫画雑誌の仕組みなどを教わることができたのです。

やっぱり現場を見ることができたのは、大きかったです。

 

漫画家を目指す方には、プロ漫画家さんのもとでアシスタントをされることをオススメ致します。

募集は、雑誌に出ていることもありますし、SNSや出版社サイトに出ることもあります。

編集部に直接電話をして、アシスタント先を紹介してもらうツワモノもいます。

私の場合は、大学のアルバイト募集ファイルから見つけました。

(私が編集者の方からすすめられて繰り返し読んだ漫画作りの強化書です。分厚い本ですが、ゾクゾクする内容で面白いです。)
また、自分でも小学校時代から漫画を描いてきました。

最初はノートに鉛筆描きでしたが、高校入学と同時に大学の文芸サークルの雑誌に ペン入れまでした漫画を描いたり、サークル誌に短編漫画を載せたりしていました。

 

幼い頃から漫画が大好きでしたし、幸いなことに図書館や古書店で 手塚治虫などの名作をたくさん読むことができました。また、水木しげるの初期作品や、ガロの作家作品、劇画時代の名作や、花の24年組の作品など ちょっと前の世代の漫画が好きで、色々と読みふけっていました。

なので、まったくのゼロから1年で漫画家デビューしたわけではなくて

子どもの頃からずっと好きな世界、少しずつ追いかけてきた世界だったのです。

 

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2・初めて出版社へ漫画持ち込み。~名刺すらもらえなかった数か月間~

 

25歳の時に、ふと思いました。

「私は子どもの頃から、なんとなく漫画家に憧れてきたけれど、もう25歳になってしまった。

今やっておかないと、一生漫画家にはなれないんじゃないか?

と。

当時は、それまで続けてきた絵画の制作発表の方向性に迷いがあり、

絵を描きながら収入を得て 食べていく道を模索していました。

 

「漫画家になれば、絵でお仕事をしながら生きていけるんじゃないか?」

と考えたのです。

 

 

当時は販売員の仕事をしていましたので、仕事の合間をぬって持ち込み原稿を描きはじめました。

集中して頑張りたかったので、自分にノルマを課しました。

それは、

「一週間に16ページの読み切り原稿を完成させて、【 毎週 】 出版社に持ち込む」

というものでした。

 

今になってみると、いやそれは無理があるでしょ・・・と突っ込みたくなりますが

当時は必死だったので、このノルマに添って漫画を描いて持ち込みをしていました。

一週間7日のうち、2日でネーム、2日で下描き、3日でトーン貼りやベタなどの仕上げをしていました。

 

以下、当時(10年ほど前)の漫画原稿を持ち込む方法です。

まず、持ち込みをしたい漫画雑誌を購入すると ページのおわりくらいに新人賞募集のコーナーがあります。

そこに「持ち込み大歓迎」などと書かれていて、編集部の電話番号や住所が載っています。

その電話番号に電話をかけて「持ち込みをしたい」旨を告げると、だいたいはその電話に出てくれた編集者さんが原稿を見てくれることになります(私はこのシステムのおかげで、某雑誌の編集長さんに原稿を見て頂けたこともあります)。

日時を合わせて、持ち込みの予約を入れてもらいます。

 

当時目指していたのは、女性向けの漫画雑誌。

しかし、私の絵のタイプが リアルすぎたり、ごつごつしていたりしたために

応対してくださった編集さんからは

「女性向きの絵ではないですね・・・もっとかっこいいスラっとした男性が描けないと」

と云われていました。

 

(当時憧れていたのは高河ゆん先生・清水玲子先生などの絵柄でしたが、私は方向性が違ったようで;;。今でもこういった絵柄に憧れています。)

 

それでもめげずに持ち込みを続けていましたが、何回目かの時に

「男性向けの雑誌のほうが絵柄に合っていると思いますよ」

とアドバイスを頂いて、ふっきれました。

 

「プロの編集さんが云うのだから、男性向けの雑誌にチャレンジしよう!」

と決心し、作品も絵柄もめざす雑誌に向けたものに転向をはかりました。

ちなみに、最初に持ち込みをしていた編集部では 対応してくださった編集さんから名刺をいただくことすらできませんでした。

しかし、その雑誌に向かない作風の私にも、とても優しく丁寧にアドバイスをしてくださって

今思い返しても素晴らしい編集さんでした・・・。

 

ありがとうございました!!

 

 


 

 

3・新人賞に向けて漫画制作と持ち込み。~下準備・制作・持ち込み・手直し~

 

男性向けの雑誌でデビューしようと心に決めてから、どの雑誌に持ち込みをするかを検討しました。

ここで大事なのは、原稿を描く前に 目標とする雑誌と賞を絞ったことです

描きたい内容は決まっていましたが、ページ数なども含めて 受賞の対象になる作品にすることが大切だと思っていました。

もう、描いても描いても名刺もいただけないような持ち込みはしたくありませんでした・・・

 

いくつかの青年誌を買い込み、賞や審査員の先生を調べた結果、

講談社の「ちばてつや賞」青年部門に応募することに決めました。

ちばてつや先生は私にとって神様でしたし、憧れの雑誌「モーニング」の賞だったので・・・

 

 

数か月かけた原稿が仕上がり、編集部に電話をかけて持ち込みの予約をとりました。

 

郵送でも賞への応募作品は受け付けていますが、

私は受賞に先立つアドバイスが欲しかったので、持ち込みを選択しました。

また、賞のしめきり1週間ほど前に持ち込みが出来るように、余裕をもって原稿を仕上げていました。

万がイチ 原稿に重大なミスなどがあった場合、修正する時間が欲しかったのです。

 

 

そして いよいよ持ち込みをしたとき 原稿を読み終えた編集さんが言いました。

 

「導入は面白いけど、途中からラストがよくないですね。途中からラストまで、どうにかなりますか?」

と。

正直、とてもありがたいことだと思いました。

おそらくこのままでは、この漫画は賞に通らない。

だけど、頂いたアドバイスで改善することが出来れば 可能性があるんだな、と思いました。

 

帰宅してからすぐに原稿の描き直しに着手し、数日間で20ページをまるまる描き直しました。

不眠不休とまではいきませんでしたが、かなり頑張った記憶があります。

そして、再度持ち込むと、編集さんが言ってくださいました。

「内容はとてもよくなりました。あとは、描き直した部分の絵がまだ未完成っぽいのでキレイに仕上げてきてください。2日で出来ますか?」

と。

「もう、やるしかない!」

と2日間で絵をきれいに描きあげて、再度 原稿を持ち込みました。

その結果、ちばてつや賞に入選することが出来ました。

 

 



 

 

4・その後のこと。~受賞はスタート前のスタートだった~

 

その後すぐに、モーニングに掲載された1ページの漫画がこちらです↓

 

・・・当時のペンネームは daigo でした。

決して、ザ・スターダストのほうのDAIGOさんからとったのではなく

個人的に、後醍醐天皇の和歌が好きだったからです。

 

そんなこんなでデビューをさせて頂いたわけですが、

当時は次回作がなかなか通らずに、しばらく伸び悩む時期が続きました。

その後、他の出版社やプロダクションに声をかけていただき連載のお仕事をしたり

再度、いくつかの雑誌に挑戦したりしつつ 漫画を描き続けていました。

 

あれ?北川景子さんを描くお仕事もしていましたね・・・やっぱりDAIGOさんにご縁があるのでしょうか(ない)

 

受賞したら安心・・・ということはもちろんなくて

1人の編集さんは、推定数十名の新人漫画家をかかえている上に

連載をもっている漫画家とのお仕事も進めているわけです。

 

ですから私の印象としては、

受賞してからやっとスタート地点の前まで歩きだすチャンスをもらえる、という感じでした。

ただ、いくつかの賞を頂いたことで その後のお仕事はぐんとやりやすくなりました。

 

そして何より、漫画の神様のような先生方から講評や賞を頂けたことが

一生の思い出です。

 

 


 

 

5・漫画家は なるよりも続けることがむずかしい~王道も正解もない道~

 

私の、漫画家志望の時代からデビュー、その後のこと・・・を

ざっくり綴ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

毎年、数限りない新人漫画家さんがデビューしています。

デビューまでは、頑張ればなんとか出来る・・・こともあるかと思います。

しかし、その後 継続して漫画のお仕事を続けていくことは けっこう大変です。

それらも含めて、・・・大変だからこそ 「漫画家」としてのお仕事は 計り知れない喜びのあるものです。

 

そんなこんなで、私が10年前に経験した

漫画持ち込み~デビューまでの流れを綴らせていただきました。

 

いま漫画を描かれている すべての方へのリスペクトとともに

 

私の体験談を終わらせたいと思います。

 

物語の法則 強い物語とキャラを作れるハリウッド式創作術

 

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