8月15日に寄せて。浮世絵・雑誌・絵はがきに見る幕末・明治の戦争イメージ@北海道立函館美術館の記憶

『国策のために筆を執ってくれ』=『戦争のために絵を描いてくれ。』
ふと思い立って 数年前に読んだ 司修の「戦争と美術」をぱらぱらとめくってみました。
自分が赤ラインを引いた、画家・松本俊介による次の言葉が目にとまりました。
「沈黙することは賢い、けれど
今ただ沈黙することが凡てに於いて正しい、のではないと信じる。
真の政治の実体とその動向や、
国際間の機微を知りたいという心は
決して私たちの野次馬心理にあるのではない。
国民として、国家の現状を血肉化せんとする欲求である。
だが、私たちは盲であり、聾であり、唖であることが
現実には欲求されている妥当さをも心得ている」
(松本俊介「生きている画家」~『みづゑ』第437号に掲載)
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この画家・松本俊介の言葉は、1941年(昭和16年)に行われた
「国防国家と美術」という陸軍報道部の軍人3名と 美術評論家による 座談会
に対しての抗議文です。
1941年といえば、第二次世界大戦の真っただ中。
そんな状況下で、一人の画家が発した抗議の言葉。
『沈黙することは賢い、けれど
今ただ沈黙することが凡てに於いて正しい、のではないと信じる。』
対して、「国防国家と美術」での発言で、
一番インパクトのあるこの言葉。
『国策のために筆を執ってくれ』
このふたつの言葉は、
戦争に利用されまいとする画家側と、
戦争に利用されてくれという軍部側
それぞれの
とてもわかりやすい発言です。
『国策のために筆を執ってくれ』
『沈黙することは賢い、けれど
今ただ沈黙することが凡てに於いて正しい、のではないと信じる。』
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軍部側から、美術に携わる人々への要望として
『国策のために筆を執ってくれ』
という
この発言。
数年前に見た展覧会『浮世絵・雑誌・絵はがきに見る幕末・明治の戦争イメージ』は、
(幕末・明治の戦争ということで 先に挙げた第二次世界大戦時ではないのですが)
まさに『国策のために筆を執った』という『名目』で、
戦時中も筆を走らせ続けた画家・作家・編集者たちの記録でした。
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私は展示された作品を見ながら、
一見 おとなしく軍部からの要求に応えながらも、
しぶとくしたたかに時代を泳ごうとした制作者たちの姿を思いました。
彼らは彼らで、『戦争のための制作』を隠れ蓑として
自分の作品に真摯に取り組んでいたのでしょう。
小林清親の「平壌激戦我軍大勝利の図」は、静まり返った森林の兵士たちを、月光が煌々と照らし出す美しい画面でした。
幽斎年章の作品に漂っていたのは、湿った青い空気が流れていく情景。
印象派の絵画のように、画面がふわっと動きフォーカスのかかった田舎道の写真。
『戦時画報』の一覧は、膨大な量で圧倒されました。
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見応えのある作品が、いくつもありました。
あれらの作品は、
表向きには『戦争のため、国策のため』に生まれたものかもしれませんが
制作者たちにとっては それだけのものではなかったはずです。
制作者たちは、美しい作品・新しい作品・強い作品・・・自らの作品を生み出そうとしていたはずです。
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時代の真っただ中にいると、些細な違和感には目をつぶって
足並みをそろえて生活しようという同調意識のようなものを感じます。
同調意識に流されるのは、気分的にもラクです。
周りから「浮く」ことがないからです。
だけど、これまでの戦争がそうであったように
現在は、同調意識にのみこまれて、いつのまにかあらぬ方向へ押し流されそうな
そんな時代にさしかかっています。
違和感を感じることには飲み込まれないようにしたい。
(たとえそれがこの時代で一般的なことでも)飲まれないようにしたい・・・と思いながら、
壮麗な戦争イメージの数々を 思い出していました。