ルドンの罪 ~オディロン・ルドンに寄せて~

中学校の図書室で、陽が当たる窓際に置かれていた黒い表紙の画集。
それが、私とオディロン・ルドンとの出会いだった。
衝撃的な出会いの記憶に音はなく、そこにいたはずの誰かも姿を消してしまい、
ただ古ぼけた中学校の校舎奥にある小さな部屋と、午後の陽射しだけが何度も思い出される。
書架の片隅からルドンの画集を引っ張り出して開いて見たとき、そこに印刷された色も形も文字も、
何もかもが十三歳の私には「よくわからなかった」。
よくわからなかったのだけれど、とてつもない衝撃を受けた。ルドンという画家がキャンバスに向かいながら過ごした時間の質感だけは、生々しく感じとることができたからだ。
なぜそんなふうに感じとってしまったのか分からないのだけれど、当時の私が自分の生活を半分くらいしか実感出来ていな
かったからかもしれない。
半分くらいしか生活の実感がないというのは、生活の半分は心ここに在らずということだ。
当時の私は自分の全人生が今ここにあるとも思えなかったし、色んな悩みや喜びがあったとしてもどこか他人事のように感じていた。
でも、ルドンの絵から伝わってくる時間の質感はそれらをはるかに凌駕していた。
ルドンは、絵を描いている間、自分自身を全く違う世界に預けていたのではないか。
絵が仕上がっているのだからキャンバスには向かっていたはずだ。
けれど心ここに在らずという表現では足りないくらい、肉体や俗世のニオイがしない。絵画作品でありながら、絵画のずうっと向こう側にある見えないもの、触れないものに集中し続けているような、得体の知れない時間の痕跡があった。
「この世を生きながら、この世で生きなくても良いんだ」
良いのかダメなのかといったら絶対的にダメなんだろうけれども、
十三歳の私はそんなふうに思ってしまった。絵を描くということは、別の世界で、自分でも他人でもない、生き物ですらない何かになっても良し。いやダメなんだろうけども、それくらいの構造破壊、実在消滅、己れの触覚さえあれば何を使って再構築しても大丈夫。ただし自分の絵の中でなら。
そんなことを言葉で言う人は、周りには誰もいなかった。
ただ、ルドンだけが、絵の中に、そんなことを刻みつけていた。
ルドンに出会ったことで私は油絵の道に入った。
ルドンが遺した手記や解説などを読むと、私が感じとったような危なげな言動は一切無いのだが、その整然かつ誠実な文章だからこそ守りぬけた「奥の間」があった気がしてならない。
でもそれは、この世での生き方の一例であって、ルドンに始まりルドンに終わっている。
なだらかな稜線の向こうから、一つ目の怪物は今日も私たちに笑いかけている。
(この文章は道南発のカルチャー誌「ブンスタマガジン」に掲載されたものに一部手を加えて再掲しました)