オディロン・ルドン ―光の夢、影の輝き パナソニック汐留美術館

パナソニック汐留美術館にて開催中『オディロン・ルドン ―光の夢、影の輝き』を見てきました。
ルドンは私が絵の道へ進むきっかけとなった画家で、中学生の頃にルドン作品に出会って以降ずっと衝撃が続いています。
このような展覧会は二度とないかもしれず…行かせてくれた家族に感謝です。
オディロン・ルドンは繰り返し同じ主題の絵を描くことがあります。私が1番好きなシリーズは『瞳を閉じて』という目を瞑った顔の作品です。先日、パナソニック汐留美術館でこの作品を見ることができて感無量でした。
戦争で消息不明となった愛息を捜して現地へ赴き、体を壊して亡くなったルドン。
神秘的かつ幻想的な作品群は、人としての実生活に裏打ちされています。
制作は自分の内面だけを追うものではなく、世界と自分のあいだを埋めつくす混沌に向き合うこと。そんなメッセージを勝手に受け取っていました。
答えのない生命を人の目でみつめ、血の通う手で描き、追い続けた画家。
『瞳を閉じて』は、そんな画家の闘いに訪れた休息なのか、激動の時代に内面を見つめ続けるための砦だったのか…見れば見るほど対極にあるものを思わせる作品でした。
ルドンの作品を鑑賞しているあいだは無我夢中でした。
そして、ふと作品から離れたときに、絵画作品のもつ無限のひろがりと限界とに思いを馳せました。
ルドンの作品に描かれたものを目で追うとき、同時に描かれなかったものの存在に気づくことがあります。
『瞳を閉じて』の人物の、胸から下はどうなっているのか?オフィーリアの水中には何があるのか?
ペガサスが見下ろしているものは何か?巨大な目の玉はこのあとどうなるのか?
描かれなかったものが「描かれている」のが、ルドン作品の特徴かもしれません。
人の手には届かないものがこの世にはある。
人外なものへの畏怖や憧憬をはっきりと認識している。
そして、ルドンはそれらを力づくで描くのではなく、追いかけ続けている痕跡として絵画に残しているのだと思います。
絵画の中に、膨大な時と思いが駆け巡っており
奇跡的に現存する作品を通して、私たちはその潤沢な光のひとすじを感じるに過ぎません。
ルドンが何を描き、何を描かなかったのか。
調べて、つまびらかにしようとすれば、
データにのぼらない有機的な光ぼうの前で立ちすくむしかないのです。