道南の精鋭シーズン2第2回 小池貴之展「扉の港」 (北海道立函館美術館 / 北海道・函館)

道立函館美術館にて開催中、小池貴之(こいけ きの)展『扉の港』を見てきました。
小池貴之さんはゼラチンシルバープリントや鶏卵紙プリントなどの古典的な写真技法を用いて作品を制作されています。
今回の展示会場では、函館で出会った人々をガラス湿板によって撮影した作品も目玉となっていました。
私がとくに惹かれたのは、最新作。函館の街を様々な視点から撮影した一連のシリーズでした。
とくに水蒸気や雲、水滴、ガラスなど、水分や透明な素材が写された作品に息をのみました。
「写真でしかできない表現」、というものがあるのか分かりませんが、
古典的な写真技法によって撮影された「透明なもの」たちは、実物よりもトロミがあり、そして重そうでした。
撮影にかかる時間、現像にかかる時間…。
そして何よりも、作家が過ごしてきた時間やこの街が息づいてきた時間までもが、映り込んでいる気がしました。

私は「函館って重たい街だな」、と思うときがあります。
積み重なってきたこの街の歴史そものものが、重たいという感覚です。
新しいものが建立されては焼かれ。新しい商売がもてはやされては消え。
これから生まれる命も含めて、この街の層の、なんと厚くて重たいことか。
『扉の港』では、途方もない重さを背負いながら呼吸している 函館の街の現在が写し込まれているようでした。
また、展示会場でとても面白かったのは、作家自身のコレクションを並べているコーナーでした。
100年以上前?に、古典的な技法で撮影された写真も並んでおり、そこに添えられた作家によるコメントに「技術的にも素晴らしく…」といった内容が書かれている部分がありました。
古典的な技法とは、たとえば100年前の写真技師がやったことと同じことを、現代でやる。
そうしてみると、100年前の撮影者と 現代の撮影者の間にあるものはいったい何になるのでしょう。
経験値?腕前?気持ちの強さとか、計画性とか、時の運など?
技法が同じであれば、過去の制作者の技術に舌を巻いたり、挑んでいったりすることも自然な流れになると思います。
古典的な技法を使うというのは、時間を超えて ひとりの人間として リアルに過去の人たちと交流することになるのではないでしょうか。
写真プリントとして「物質が残る」からこその交流です。
小池貴之さんの作品たちは、今後さらに時空を超えて存在し続けていくはずです。
そしてたとえば100年後、古典的な技法で写真撮影をする人が現れたときに…
そんな夢うつつなことを考えながら、じっくり拝見する作品たちは、最高でした。


