私がファンタジーに求めるもの(韓国ドラマそしてアジアンポップス)

私は恋愛もののコンテンツにあまり興味がないのですが、
韓国ドラマやアジア(とくに韓国・中国・台湾など)のポップス音楽がうたう恋愛観は昔からけっこう好きです。
最近とある韓国ドラマの存在を知りました。
はじめはショート動画を観たり原作を読んだりしていたのですが、ドラマの「映像」がとても好みで
これは見ないと後悔しそうだと思い、全話を購入して視聴しました。
結果、とても良かったしこのドラマを通して思い出したことが沢山ありました。
1995年頃、知り合いの家に韓国からの留学生がホームステイしていました。その学生さんが「好きなバンドのアルバム」として『the classic』 のCDを借してくれたのが最初の韓国文化でした。爽やかでロマンチックな世界観、軽やかな抒情性。
最近、ある韓国ドラマ映像にハマり、懐かしく思い出しています— 月村朝子 (@tukiasa2) October 7, 2024
私は日本生まれ日本育ちのため、実際の各国ではどうか分かりません。でも
礼儀・祖先・儒教・友愛・祖国・同志・・・といった観念が人の心を動かすアジア圏のストーリーが好きです。
今回、私が好きになった韓国ドラマにもそのような傾向があります。
恋愛が描かれるシーンであっても私利私欲の罪深さが語られ、相手の信頼を得られるか、自分を許せるか、道義に反していないか?といったポイントで登場人物たちが揺れ動きます。
こうした自省をともなう心の揺れは
恥ずかしく傷つきやすいシーンなので
実際に体験することを想像するだけで いたたまれない気持ちになります。
自分の欲望や本音をふだんはあまり表に出さないで生活している文化圏の人にとっては
欲からくる恋慕や執着は、抱えているだけでもつらいものがあるかもしれません。
しかし、それらを払拭するかのように韓国ドラマやアジアのポップスは軽やかで綺麗です(個人の印象です)。
韓国ドラマやアジアンポップスの歌詞をたどると
けっこうドロドロしていたりワガママだったりします。そこに美しいファンタジー要素を盛り込んで
甘く、軽やかに作り込まれている作品が多い印象です。
ファンタジーを作り込みすぎると、現実とはどんどん乖離していきますが
恥ずかしさや傷つきやすさを守るための虚構は とにかく綺麗なのが一番なのかもしれません。
ファンタジーというのは、空想や幻想のことです。
現実世界から求められるファンタージェンというのは、切実な心の逃げ場であると同時に
現実世界の裏返しで、実はかなりリアルな虚構だと思うのです。