剛しいら先生死去|90年代の文芸同人誌に掲載された小説|20年前の函館についての記述
4月1日、小説家の剛しいら(ごう しいら)先生が病気のためお亡くなりになりました。
私は15歳の時から数年間、法政大学の文芸サークルが発行していた雑誌(同人誌)で漫画や挿絵を掲載させて頂いていたのですが
剛しいら先生は、本格的にデビューされた直後にその雑誌に寄稿されていました。
たしか、編集人の方が プロの作家さんの作品を掲載したいということで
剛しいら先生に寄稿を依頼したのだと記憶しています。
ミステリアスで、独特の柔らかい雰囲気のある短編小説でした。
当時、剛しいら先生は 小説家・栗本薫氏の主宰する「小説道場」で腕を磨き、
全国誌デビューを果たされた直後でした。
私が初めて剛しいら先生の作品を読んだのは、法政大学のサークル発行雑誌が初めてで
当時高校1年生でした。
大学のサークルなので、編集人はすべて大学生で、小説家を志すメンバーが多かったと記憶しています。そんな中、プロとして活動されていた剛しいら先生の短編は、メンバーの方にとって研究の対象となったようで、批評集でも様々な意見が交わされていました。
約20年前、剛しいら先生の短編に出会ってから メディアなどでお名前を目にするたびに
「あの雑誌に寄稿してくれた作家さんだ!」と勝手に嬉しくなる日々が続いていました。
先日、剛しいら先生の訃報を知り 20年前に読んだ短編小説を中心として、様々なことが思い出されました。
残念ながらその作品が掲載されている雑誌は、今は手元にありません。
当時の編集人の方は、保管されているでしょうか、。
20年以上にわたり多くの作品を執筆された剛しいら先生
ご冥福をお祈りいたします。
また、その雑誌の作者プロフィールページに
高校2年生の時の私は、函館のことを書いていました。
1998年当時、今からちょうど20年前の函館についてです。
これ、雑誌でよくある「作者近況」みたいなページですね。当時のペンネームは遊糸だったんですね、高校生ながらに中二病。
こんなことを書いています。
【両親の郷里である函館へは、物心つく前から、夏と冬ほぼ毎年かえっていましたが
今年は学校のホームステイ(3週間)に参加する為、行けません。
もし函館に行く事があったら、函館公園周辺をのんびり歩くことをおすすめします。
ほとんど人通りがなく、公園内にある木造(内部)の古い市立図書館からは海が見えます。
同じく園内の博物館は、時には自分一人しかいないということもあるくらいさびれています。
4つの公園の入り口のうち2ヶ所には近くに喫茶店があり、
1つはつたの葉に覆われて白いペンキもはがれ落ち、今は閉店している「唐草館」と、
もう1つは 名前は忘れましたが店内に無数のマリオネットがぶら下がる妖しげな店です。
周辺の町並みは、生活感が漂っているのに人間がいないという風景が海まで続いています。】
文中にある 函館公園内の図書館、大好きな場所でしたが現在は閉鎖されています。
橋本治による歌舞伎イラスト集とか、マニアックでいい本がたくさんあったのですが残念です。
外からのぞくと、蔵書の一部はまだ白い布に覆われたままで整理されていない気がします。あの中にどれだけのお宝本があることか・・・!!
「唐草館」は、一度だけ入店したことがありますが、ほとんど閉館状態だと記憶しています。
内部は素晴らしかったです。真っ白い大きなお皿で、お肉を頂きました、それも、もう25年くらい前のこと。
「無数のマリオネットがぶら下がる店」というのは、
先代のマダムが経営されていた頃の「想苑」ですね。こちらのマダムは人形がお好きだったようで、一時期 店内にはたくさんの人形が飾られていました・・・が、それも30年ほど前のおはなし。
博物館も、現在は活気が出ていると思いますし
20年前に私が抱いた印象と現在の函館とは違う部分もあると思います。
ちょっとツンデレな描写ですが、高校生当時の私は この函館の環境が大好きでした。
こうして記録しておいて、ほんとに良かったな~と思い返しながら 雑誌のページを繰ったのでした。