没後30年 鴨居 玲「踊り候え」北海道立函館美術館(2015年7月)

武蔵野美術大学の学生だった21歳の時に鴨居玲を知った。
武蔵野美術大学の資料図書館にある鴨居玲の画集は貸し出し禁止だったので、
閲覧カードを書いては館内で眺めていた。
その時には分からなかったが
今日 改めて鴨居玲の作品を見て、作家は
自我のアクにあてられたのではないかと感じた。
・・・こんなことを他人事のように書くなんて、酷な上に無恥だと思うけれど。
鴨居玲の作品には、酩酊状態の人物が多く描かれている。
滑稽でもの悲しく、叙情的すぎるくらいに情感たっぷりに描かれている。
それを鴨居玲自身の自画像に重ねるむきもあるけれど、私はそこに一線を引きたい。
私は、画家は手に入らない憧れだからこそ 同じモチーフを繰り返し描く のだと感じている。
手中にあるもの、隅々まで知ったものはモチーフにしづらいのではないかと感じる。
モチーフを描くために苦心したり、膨大な時間や労力を費やしたりするのだから
「追いかける」エネルギーがなければ作品にならない。
酩酊状態の人々は、鴨居玲にとって憧れだったのではないか。
鴨居玲は酒好きだったというが、たぶん酒では心底酔っ払えなかったのだと思う。
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情感たっぷりで、自我を色濃く放出しているかに見える作品の数々を見ながら、
同時に自身を冷たい目で観察しているもう1人の目を感じた。
そこに、鴨居玲のアクの強さが凝縮されていると感じた。
「老兵」という作品の前で、他人のこうした苦悩を作品にしてしまう画家は酷だなあと思った。
「石」という作品の前で、釘付けになりながら言葉では何も表すことができなかった。
「勲章」という自画像の前で、今まで丸まって描かれていた背中が真っすぐになっているのに気付いた。
ほどなくして画家は自死を選んだという。
背中を丸め、酩酊したままバランスをとって踊ってきたはずの画家が、背筋を伸ばしたとき。
そこに、触れてはいけない大きなものが転がっていたのではないか。