85年前の大沼歴史的写真『宮川勇の葬儀』~北海道七飯町大沼を観光地として開発した主要な人物

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2025年9月30日、函館市松風町にある老舗店『カメラのニセコ』さんが閉店しました。

旧「カメラのニセコ」本店は1947年の創業で、2014年に一度閉店されています。その後、同社で社長を務めていた平野吉明さん(53)が25日、店名を引き継いだ新生「カメラのニセコ」を25日、同所でオープンさせてから約11年となる今年。

多くの函館市民に惜しまれつつ閉店されました。

■本店 040-0035函館市松風町5-13 

写真機及び写真材料の売買 現像焼付け引き伸ばし等のサービス業 電気及び通信機器の売買 事務機器等の売買

ウェブサイト→ https://cameranoniseko.jimdofree.com/

(公式SNSより転記)

 


 

私の祖父の代から、カメラのニセコさんにはお世話になってきました。

祖父はカメラが好きで、大きな望遠レンズのついたカメラや珍しい小型カメラなど多数所有しており

自分でも現像していましたが、アルバムにはられた写真には「カメラのニセコ」のクレジットも多くありました。

そこで、古い写真を眺めていたところ、かつて祖父宅にて撮影させてもらった貴重な写真が出てきました。

 

 

 

 

 

 

 

明治~昭和を生きた「宮川勇」という人物の葬儀写真です。

宮川勇は、侠客(町奴・博徒)出身の実業家です。

大沼の鉄道工事で大きな働きをした人物であり、現在の七飯町大沼地区を一大観光地に盛り立てた人物として歴史に名を刻んでいます。

 

明治36年、鉄道工事に施設監督として関わづていたといわれる宮川勇が大沼(現大沼公園広場売店付近>に旅館紅葉館を完成、また、明治38年に堀口亀吉が沼の家として「大沼だんご」を製造販売するなど、徐々にではあるが観光地としての体裁を整えつつあった。
この大沼を当時の北海道会も注目し…

(市立函館博物館研究紀要第九号、26ページ~より引用)

クリックして%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%B4%80%E8%A6%81NO9200dpi-1.pdfにアクセス

 

 

以下の二つの記事には、宮川勇が経営していた旅館「紅葉館」についても詳細が書かれています。

NPO”箱館写真”の会『宮川家のアルバム』(2020.10)

 

七飯町役場ホームページより宮川勇の記事リンク

クリックしてdayori67.pdfにアクセス

 

 


 

宮川勇、昭和15年11月3日没。

生涯かけるほど惚れこんだ大沼の紅葉・・・旅館の名前にも冠した大好きな紅葉の季節に、身罷られました。

1940年、以降日本は第二次世界大戦へまっしぐら…戦前のゆたかな文化に彩られた紅葉館が、主人をなくした年。

 

私の曽祖父が、宮川勇および紅葉館の後見人をつとめていたそうで

当時の新聞のお悔やみ欄や、大沼公園にある石碑にも曽祖父の名前が残っています。

もちろん今回掲載した葬儀写真にも曽祖父は写っており、私の叔父と瓜二つの背格好と顔なのですぐにわかりました。

葬儀写真の二枚目には、大沼だんごで知られる沼の家や、久根別・函館・大沼の製造工場からのお花、大沼町民一同からのお花も写っています。

 

 


 

85年前のこの時期といえば、祖父は戦地へ行った直後でしょうか。

その前に、大沼の紅葉を見たでしょうか。

先日、大沼へ行きましたら、ちょうど紅葉がはじまったばかりでした。

 

少し前の時代に思いを馳せながら、

勝手に 葬儀写真を掲載した遠縁の子孫を、許してもらえることを…祈るばかりです。

 

 

 

 

 

 

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