韓国ドラマ「俺は恋愛なんか求めてない!」と「僕の指先に君の温度が触れるとき」に見る花鳥風月
この記事は、韓国ドラマ「俺は恋愛なんか求めてない!」と「僕の指先に君の温度が触れるとき」に対する私個人の感想と考察になります。
【注意】
こちらの2作品はBLというジャンルに属する作品でもあります。
また内容のネタバレにもなりますので苦手な方は別の記事をお読みいただけたら幸いです。
「俺は恋愛なんか求めてない!」のスピンオフ作品として「僕の指先に君の温度が触れるとき」が制作されています。
*日本版のタイトルがとても長いので
「俺は恋愛なんか求めてない!」は「俺恋」
「僕の指先に君の温度が触れるとき」は「僕指」
と略させて頂きます。申し訳ございませんが、ご了承ください。
「花鳥風月」を思わせるメタファーが散りばめられた物語
この二作品を鑑賞しながら、北原白秋の詩を思い出しました。
「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。」
バラの木に花が咲くのは当たり前のこと。しかしその当たり前のことは天の恵みに外ならず、自然界は不思議に満ちているのではないか・・・
そんな連想を導き出すようなメタファー(暗喩)が多数ちりばめられているのがこの2作品です。
流行りのBLドラマと思ったら大間違いで、作中のそこここに花鳥風月(自然の美しい風景と、自然界の摂理)の姿がひそんでいます。
不思議な存在感を放つメタファーと登場人物たちが様々な場面でリンクを重ねていくさまは圧巻です。
・「俺恋」に描かれる自然界のメタファーは、「火」と「土」。
まずドラマのオープニングから登場し、重要な場面で姿を見せる「灯台」(赤い光の点滅)。
そして天才陶芸家であるユン・テジュンの扱う窯の炎、火傷。
恋人となるチ・ウォニョンにプレゼントするために作ったルームライト。
そして第二のメタファーとして「土」が重要な役割を果たします。
焼き物の練習をするためにウォニョンが持ち歩く粘土。拙さを克服するために、ウォニョンは四六時中 粘土を持ち歩きます。
テジュンとウォニョンの心の接点をつくるのはいつも「土」です。
ろくろを回すときや、手に着いた粘土ではしゃぐとき。また、ウォニョンがテジュンのために深夜薬局へクルマを飛ばすのですが、その際テジュンの愛車につけてしまった土汚れをホースで洗い流す場面…などです。
・「僕指」で重要な役割を果たすメタファーは「水」と「果(花)」。
「水」のメタファーはドラマ冒頭から繰り返し登場します。
まずドラマオープニングにクジラのモチーフ。どこか色褪せた青色のクジラが、日差しの中で揺れています。
「僕指」で高校一年生のホテが打ち込んでいるのが水泳です。水中やプールサイドのシーンは透明感があり、競泳の激しさよりも音がくぐもるような内面世界を思わせます。
そして、ホテとドンヒの下校シーンで二人がかぶるホースの水しぶき。
ホテの目の前でドンヒの笑顔がこぼれる重要なシーンで
ドンヒの満面の笑みを、背後の水しぶきが最大限に演出している名場面です。
(・・・なんですが、このホースの水をまいているのって普通の住人の女性なんですよね。
「水」シーンのために一見不自然な演出まで駆り出されているのです。ほんとうに美しくていい場面なんですけど、いかに作中で「水」が必要だったか、と勝手なことを考えてしまいました。)
そして「僕指」のもうひとつのメタファー「果(花)」。
ドンヒが庭先にいるホテに運んでくる真っ赤なトマト。ホテはドンヒがすすめるトマトをほおばるも、一口で「食べる気が失せた」と(戸惑いや羞恥からか)中断します。
また物語の佳境では2人が絨毯などを持ち込んで秘密基地のような部屋をつくり、ホテがドンヒにミカンをひと房食べさせるシーンがあります。相手に果実を食べさせるという行為は、古来から様々な神話に登場してきました。ここでは深入りしませんが、関係性が一気に変化することを示す場面です。
そしてドンヒがソウルの大学へ発つ前に、ホテとの和やかな時間を過ごしますが、そこでホテがプレゼントする黄色のガーベラ。(「俺恋」で大人になったドンヒが、ホテがくれたのとよく似た黄色い花をめでるシーンがあります。)黄色いガーベラの花言葉は「友情」ですが、一方で「究極の愛」という意味もあるそうでヒヤヒヤさせます。
以上のように、
「俺恋」に現れるメタファー「火」と「土」からは
「火によって焼かれ、固まる」→ 身を焼くような試練を乗り越えて確固たる関係性を結ぶ テジュンとウォニョンの物語とのリンクを思わせますし
「僕指」のメタファー「水」と「果(花)」からは
「水の恵みで果実や花が育つ」→ 傷ついたドンヒに瑞々しい感情を注ぎ続けることで先へと進ませるホテ、そして現実に耐え忍びながらも相手のことを思いやって最善を尽くそうとするドンヒの物語を思わせます。
他にもこの2作品の底を流れるテーマとして
「母の手元で育まれる父不在の少年たち」、
「少年期から青年期へ 空白の時間を想像させる細部描写」など
心に残る描写が多かったです。
出来れば今後、別の記事で書いてみようと思います。
中島梓が「コミュニケーション不完全症候群」で綴った「ジュネ」的な作品との共通点は非常に多いけれど
「俺恋」と「僕指」は
視聴者を楽しませてくれる、軽やかで愛嬌にとんだ場面がたくさんある作品となっています。
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「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド。」
バラの木に花が咲くのは当たり前のこと。しかしその当たり前のことは天の恵みに外ならず、自然界は不思議に満ちているのではないか・・・
どんな種類の愛情であろうと、だれかを慈しむ気持ちというのは自然に沸き上がるものだと思います。
火にくべられた土は焼きかれて固まる。水を得た植物は花や果実をつける。
そういった、ごく当たり前の現象が人の心でも起こっているだけ。
でも、その当たり前こそが素晴らしい奇跡だし、
不思議なめぐりあわせの結果なのでしょう。
そんな自然界が登場人物たちに投影され、調和してゆく…
この2本のドラマを視聴し終えて、そんなことを考えました。
BLドラマとしてだけでなく、映像も音楽も脚本も、それぞれに深入りして楽しめる作品です。
私よりもっといい考察を書く方が沢山いらっしゃると思うので、ぜひこの作品のメタファーについて色々な方のご意見をお伺いしたいです。
出演された役者さん、そして制作の方々の熱意が個々の存在を超えて大きなイメージの巡りを視聴者にもたらした
いち視聴者として、幸せな作品でした。ありがとうございます。