「そうだったかもしれない」自分たちのこと。

たしか小学校高学年のときに両親が離婚するかもしれない状況になった。
母親から
「離婚したら、お前はお母さんと一緒にくるよね。
進学は、お金が足りなくなるかもしれないけど
新聞配達でも何でもして、自分でしっかり稼いでがんばるんだよ」
と言われたのを今でもはっきりと覚えている。
結局両親は別れなかったけれど、
私はずっと、新聞奨学生になることを具体的に思い描いていた。
だから今でも、新聞配達をしながら学校に通う自分がいるような気がしている。
私は高校受験で第一希望と第二希望の学校に落ちている。
ひとつは東京都の高校で、もうひとつは横浜に出来たばかりの総合高校だった。
どちらも自由度の高い学校で、倍率がとても高かった。
学科だけでなく面接試験もあり、総合高校はとくに芸能人やスポーツ選手が多く進学していた。
結局両方に落ちて、私立の女子高に通ったのだけれど(結果的にこちらで良かったと、今は思う)
あの高校に受かって、キラキラした周りについていけず浮いている自分がどこかにいる気がしてしまう。
若い頃に人間関係で失敗をして、
使い走りや自腹切りばっかりやっていた時期があった。
とにかく自分の手元には何も入って来ず、
文句を言われながら無償奉仕をして、それを自己責任と位置付けられていた。
派遣の仕事で稼いでも、ぜんぶ他人のために遣ってしまう悪循環で
感覚がマヒしてしまい、「私の人生ってこれで終わるのかな」と思っていた。
「親に申し訳ない、こんな自分になってしまって」と悲しかった。
40代、50代、60代まで働きづめで何の楽しみもなく
周りに使われ、嘲笑されながら
過労で息絶える自分の姿が見えていた。
今でもそのときに観ていた、しぼんだ自分の背中を思い出す。
いくつもの「そうだったかもしれない」自分たちがいる。
住むはずだった3万円のアパート。
面接を受けるはずだった姫路の画廊。
会うはずだった友人とその家族。
打ち切られた仕事。
描くはずだった景色。
ちょっとしたボタンの掛け違いで
今の自分は、まったく別の自分になっていたのかもしれない。
そんな自分たちが、今も
そこここに居る気がしてしまう。
心配そうにこちらを見ている気がする。
できるだけ「だいじょうぶ、こちらの私はなんとかやっているよ」と言ってあげたい。