11年目の3.11がやってくるまえに。

11年前の3月11日。
自宅で、友人の映画監督が撮った短編映画を
DVDに焼いていました。
ちょうど、イラストご依頼を頂いた会社からメールがきて返信をしていました。
立っていられないほどの揺れがきて、
ひとまず取引先の会社に「いまのところ無事です」と一報を入れたあと
携帯として使っていたPHSが圏外になりました。
住んでいた横浜は、震度5弱。
私は当時は5階に一人暮らししていたので、ライフラインが止まった数日間は
ライターでジャーキーをあぶって食べていました。
ネットが繋がってからは、
福島第一原発の事故による放射能の報道を追い
東北に住む友人のSNSを一日何回もチェックしていました。
お店の食べ物はすべて売りきれで
恩人の、ビール会社の方が送ってくれた救援物資を食べてしのいでいました。
信号もしばらく復旧せず、
道路の中央に手旗信号の警察官が立っていました。
超満員の電車に乗って職場に行くと、
ビルごと閉鎖されていたこと。
突然街の明かりがすべて消える「計画停電」のため
深夜に真っ暗闇を歩いて帰宅したこと。
友人の安全がわかって、涙がでたこと。
それ以外のことで泣いたこと。
私は、3.11がきっかけで
30年を過ごした横浜・東京を離れて北海道へ移住してきました。
当時1人だったからできたことです。
それまでの仕事も活動も、
いろんな関係もぜんぶゼロになると、そう覚悟するしかありませんでした。
実際、イチからぜんぶやり直すつもりで
この11年を過ごしてきたけれど
これは、たぶん小さなことです。
いま、生きて
こうして文字を打ったり、できる。
これらを、出来なくなる可能性があった。
誰の上にも、その可能性があった日から
11年なんですね
あれから、もう11年か。
じつは最近小さなことでイライラしていました。
老人をだまして搾取するような商法を目にしてですね、煮えくりかえっていました。
逆の立場ならどうするんだろう?って色んなパターンを考えました。
人の喜びにつけこんだセコイ商法で、
よくこんなんで よくもまあ!って
ずっと怒っていたんですけど。。
3.11が明日で
11年前の3.11から
ずっと私は生き続けることができていて
こうして文字も打てるわけです。
これが、どれだけ大きなことなのか。
つい忘れそうになる11年目に
いま、居ます。
とにかく生かされて明日を迎えることができるのです。
11年前には想像もしていなかった未来を見ることができるのです。
カッカしている自分も含めて、今をかみしめていよう。
おやすみなさい
またあした。