守れ、創作意欲。~心を壊さないために。

「絵が好きだったけれどやめてしまった」という話を、何度か聞いたことがあります。
団体展に入ったらお偉いさんに酷評されて意欲が無くなってしまった。
好きで描いた作品を先生にダメ出しされた。
サークルの上下関係に疲れてしまった。
・・・生活の変化や、自分自身の理由で
創作から離れるならば いいと思いますが
何かしらの対人関係が原因で作品が作れなくなるのは
つらいことですよね。
創作は、そして作品は
本来デリケートです。
生身の人間が傷つきやすいのと同じです。
出来たばかりの作品は
生まれたてのヒヨコのように、頼りなく
あったかく、震えている存在です。
少し力を加えればぺちゃんこになって
死んでしまうかもしれません。
そんな産声をあげたばかりの作品も、
様々な人に見られたり、表の世界に接したりするなかで
少しずつ生きる力を身に着けていきます。
そんなふうに表の世界に出すためには、
作り手や
関わる人たちの力が必要です。
そこで気を付けなければならないこと
私が思うに
第一目的が「カネ」である人とは関わらないということです。
キャバ嬢出身の実業家である女性が、一緒に働くスタッフの条件として
「お金が目的ではない人」を第一に挙げていました。
私はとても納得しました。
「カネ」が第一だという人は、目的を選びません。
人を傷つけようが約束をやぶろうが
「カネ」には感情がないので
「カネ」が得られる条件さえ整えばいい。
また「権力」も同じかもしれません。
価値基準が「カネ・権力」にあると、
人を大切にしなくてもいい。
自分の信頼がなくなっても、
周りにどう見られても構わないわけです。
そんな、他人だけでなく自分自身をも大事にしない人に
作品 ましてや創作する人の心を扱うことなんて
無理なはなしです。
なぜこんな話をしているのかというと
私は
他人に酷評されたり
約束を守られなかったり、
色々うんざりするような出来事に遭遇するたびに
「もう何も描きたくない」と思った
・・・わけではなく
「このままじゃ描けなくなってしまう」という危機感を抱きました。
創作する上でそういう目に遭うと、本当に
ヘナヘナとその場に座り込んでしまうほどのダメージを受けます。
「このまま、傷ついたままではもう描けなくなってしまう」
自分の創作意欲がすっかり消えてしまうようなほどの徒労感におそわれます。
一方、自分にダメージを与えた相手は何をしているでしょうか。
観察するのは、とても大事なことだと思います。
きっと、相手が受けたダメージなんて気付かないままに
いつも通りに過ごしているでしょう。
または、相手のダメージに気付きつつも、
気付かないふりをして過ごしているでしょう。
その程度の感受性だからこそ
相手を傷つけることができるわけです。
そんな相手が発したものを
まともに受け取る必要はないのです。
不意打ちでダメージを受けたとしても
それは完全に「もらい事故」です。
あなたの問題じゃない。
感受性がなく、生身の人間を扱うことのできない
相手の問題です。
人には
どんな言葉を遣うべきか、とか
どんな接し方をするべきか とかいったような
ハウツーをいくら身に着けても
育たない部分があります。
その部分を育てるのは 創作物であったり
創作と向き合うときの心の動きです。
表面的に創作に触れて知識を増やしても
追いつけないのがリアルな人間の心です。
守れ、創作意欲。