知らずに描く/書くことができるのか?

①
「勉強します。」と行って、
彼女はギャラリー内に展示されている絵画作品すべてにカメラを向け
軽やかにシャッターを切り、
にこやかに立ち去った。
その後、彼女の作品を見る機会があった。
あきらかに、前日のギャラリーで展示していた作家の作品に
寄せたのでは?と見える画面があった。
彼女にとっての「勉強」とは何なんだろう、と
背筋がひやりとした。
②
彼女のラフスケッチを見て、
つい先日まで小学生だった相手に
大人のまっすぐな言葉をかけてよいものか、悩んだ。
そのラフスケッチにはとてもいい方向性が見える。
でも真逆の方向に向かっている線がある。
聡明な彼女なら このさき何年か描き続けていくうちに自分で気づくはず。
だけど、指導者としている以上、伝えることを怠るのは失礼だと思いなおして
言葉を選びながら、具体的な部分のみを伝えた。
彼女は、じっと私の言葉を聞いて
「ハイ」とだけ言って、画面に向かいなおった。
10分くらいして見にいくと、ゆっくりラフスケッチを描き直していた。
「描きなおすの?」と訊くと
「もう少し線を整理してから、もう一回考えてみます。まずは線を整理します。」
としっかりした声が返ってきた。
年齢は関係ない、
こんな描き手に出会えるしあわせがある。
③
色んな資料が手に入るし、
色んなサンプルも使いほうだい。
ツール次第である程度の水準までいける。
それが現代の描き手であり、書き手だ。
でも、それはここ20年くらいのはなしで
それ以前は、自分の足を使って探し回るほかなかった。
④
ここ最近で急速に、
自分が見つけたものと他人が見つけたものの境界線があいまいになった。
他人が撮影した写真を
他人が紡いだ言葉を
他人が構成した画面を
「ちょっと拝借」して自分のものにすることが出来る。
それを自覚しないでやってしまう「勉強」はちょっとこわい。
加えて、
世の中の膨大な描き手/書き手の存在を忘れたままに続ける「勉強」も
なかなかに、こわい。
⑤
すべては自戒である。
タイトルの「知らずに描く/書くことができるのか?」という言葉は
私が学生時代にある作家から突き付けられた言葉で
それを「拝借して」タイトルにした。
ただ、もう20年ものあいだ
「知らずに描く/書くことができるのか?」と
自問自答してきたので
そろそろ自分の言葉になってもいいかな?と思って
冷や汗をかきながら、書いてみた。
クレームがこないことを祈ります。
知らずに描く/書くことはできるけど、
たぶん
しないほうがいい。