ゴッホはロックアーティスト~聖地巡礼をした日本人たちの気持ちを追体験。

 

 

*この記事は、札幌→東京→京都で開催される「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」の感想です。

 

 

1「ゴッホ展」で新たに知ったこと。

2「ゴッホ展」で学芸員の方から解説を聞けたこと。

3「ゴッホ展」を見て感じたこと。ゴッホはロックだ。

 

 

 

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1「ゴッホ展」で新たに知ったこと。

 

今回の「ゴッホ展」は、ゴッホの作品のみの展示ではなく、「巡りゆく日本の夢」というサブタイトルにあるように
ゴッホと、日本文化(文化人)との密接な結びつきが明らかにされた展示でした。

 

私は、

ゴッホが日本への憧れから様々な技法を試したり、

浮世絵の模写をしたり、
黄金の国・ジパング(ジャパン)を理想郷として胸に抱いていたことは知っていましたが

 

ゴッホ亡きあとに 多くの日本の文化人がゴッホの作品を訪ねて ゴッホの主治医だった先生のお宅を訪れたこと、
そうした日本人を温かく迎え入れた主治医のご子息がいたこと、

そういった温かい交流については知りませんでした。

 

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2「ゴッホ展」で学芸員の方から解説を聞けたこと。

 

いわば、ゴッホと日本との相思相愛ぶりが詳らかにされた企画展だったと思います。

 

作家・作品の存在だけでなく、その時代背景から現代までのルーツを伝えてくれる内容は
とても面白く、新たな発見と喜びをもたらしてくれます。

今回 私はツアーで「ゴッホ展」に行ったので、学芸員さんの解説を40分間聞くことができました。

今までは、どちらかといえば解説はすっとばして作品をじっくり見たい派だったんです。
だけど、今回の展示でその傾向が変わりました。どんなに「知っている」と思っても、
企画された学芸員さんの話は聞くべきだなと。知らないことがたくさん、たくさんあるんです。

中でも学芸員さんが実際にゴッホや佐伯祐三が描いた「オーヴェールの教会」を訪れたときの印象や
今回の企画展にこめた思いなどは「聞けてよかった!」と感じるものでした。

 

こうして新しい認識や価値をもたらしてくれる、
たとえ既存の知識と知識であっても、

新たな紐付けによって新たな解釈や研究の側面を伝えてくれる
今回の「ゴッホ展」の企画を実現された学芸員さんのお話は、刺激的であり、とても面白いものでした。

 

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3「ゴッホ展」を見て感じたこと。ゴッホはロックだ。

 

ここからが本題というか、私が「この展示は面白い!」と感じた理由なんですが

 

ゴッホは、いわば「ロック」なんだなあと。

今回、色々な年代のゴッホ作品を見てきたわけですが、
以前から「ゴッホはロックだなー」と感じていた私の認識が
いっそうクリアになりました。

 

ゴッホは、ロックなんです。

だからみんなハマるとハマるし、信者になってしまう。

 

 

・まず、ネガティブなエネルギーからくるテンションの高さ。

 

ゴッホは常にテンションが高いです。

異様に高いし、それをさらに高めることを自らに課しているかのように生きています。
たとえば、せっかく就いた職では問題を起こしまくって解雇されたり(その問題行動は、自らの信条によって生み出したもの)。

そして、そのテンションはネガティブなエネルギーを原動力にしているように見受けらにれます。

ゴッホは、幸福になりたい、画家として成功したいと強烈に願って生きていました。
けれども、その幸福も成功も、既存のものではないんですね(弟・テオに宛てた手紙を読むかぎり)。

 

「僕は幸福になりたい、僕は成功したいのになぜこんな生き方なんだ」というネガティブさを、大きなエネルギーに変換しているような印象があります。

 

ゴッホは、他の多くの人々が得てきた「幸福」や「成功」からはどんどん遠のくような生き方をしています。
きっと、ゴッホ自身何が自分の求める「幸福」そして「成功」なのかは分からなかったんじゃないかと思います。

 

「真実」を探求する人は、もれなくこうした傾向があると感じます。

 

・・・いちばんわかりやすい例えが、ロックアーティストですね。

 

「真実」は、どこにもないともいえます。他人と同じものが自分にとって「真実」とは限りません。
「真実」の探求は本来、苦行僧が行うような長く苦しい修行のようなものですが
それをハイテンションで一生涯続けてしまう、天賦の才というものがあります。

 

私が知るかぎり、それが
ロックアーティストの持つ才能であり、

 

文学界では宮沢賢治らが、
絵画の世界ではゴッホらがスター的存在である所以ではないでしょうか。

(・・・宮沢賢治も、本人の日常を知る人々が残した証言からは、かなりのロック精神を感じます。)

 

 

・そして、無邪気な感性と老成した技術の同居。

 

今回のゴッホ展には、初公開となった「雪景色」という作品がありました。

 

この「雪景色」という作品は、ゴッホが理想郷・日本に似ているという理由から南仏・アルルに引っ越してきたときに描いた作品。
穏やかな、明るい、希望の香りがする雪景色が描かれています。

 

ゴッホというと、空間が色彩の渦とともにうねるような強烈な作品が印象的ですが
こんなにも穏やかで、希望への活力に満ちた作品も描いていることを忘れてはならないと思いました。

 

ゴッホの絵画技術は、ほかの画家からみて劣るものでは決してありません。
画家の道を志してからは、大変な量の習作・制作にいそしみ、独自の解釈で作品を構成するための研究と鍛錬を続けていました。

 

ゴッホのように「独特の描き方」が出来るというのは、「基本技術の応用が出来る」ということです。
サブタイトルに「老成した技術」と書きましたが・・・技術力がなければ、自分の作品をさらに高めようというモチベーションも生まれにくいものです。

 

自分の作品・制作を顧みて「自分はこれだけのものが描ける」という土台があるからこそ
新たな技法・新たな解釈へ踏み込めるのです。

 

ゴッホが弟・テオに宛てた手紙を読むと、その知性の冴えにヒヤっとするときがあります。
頭が切れすぎて、才覚がありすぎて、ちょっとこわいな・・・と思わせる文面なのです。

 

そういった知性・技術力をもってして、
ひたすら制作に没頭するという無邪気さがゴッホのゴッホたる所以ではないでしょうか。

 

ロックアーティストもこういった傾向が多く、
その知性の鋭さや表現力をもってして、
危険なほどに純粋な作品世界を構成しているところに ファンは夢中になるのでしょう。

 

 

・さいごに、強烈なカリスマ性。

 

ここまで書いてきた内容すべてを包括するものですが

ゴッホのもつ「カリスマ性」がロックそのものだなと。

 

今回の「ゴッホ展」で詳らかにされた、戦前の日本文化人たちによる「ゴッホの聖地巡礼」の痕跡。

「芳名録」と書かれた、「ゴッホの絵を見にきたよ!」とサインするノートは、
さながら ロックの聖地に書かれたファンのサインのようでした。

ここに、佐伯祐三や斉藤茂吉ら数百名の日本人の名前が刻まれている様は、圧巻でした。

 

みんな、ゴッホが大好きなファン同士で、
「聖地巡礼行った?ゴッホの生絵見た?オレは行ったよ!最高だったよ!」
という口コミで広がったものに他なりません(ちょっと語弊があると思いますが)

 

そんな、ゴッホ大好きで、ゴッホのカリスマ性にやられた日本人と
日本文化に憧れ、理想郷・日本を追い求めて制作を続けたゴッホと。

 

その系譜のスミッコに、私みたいに「札幌のゴッホ展よかったよ!」と吹聴したり、感想ブログを書いている私も
連なっているのかと思うと、なんともいえないヨロコビを感じます。

 

こうした系譜を知らずとも、ゴッホの強烈なカリスマ性は作品を通して十分に伝わるものです。

絵を描いている人ならとくに共感できると思うのですが
あの画面を、あのテンションで埋めること自体が・・・、かなりかなりの大技ですよね。

 

 

今回のゴッホ展を通じて、私は

日本人のゴッホ好きと、日本人のロック好きはかなりの共通項があることに気付きました。

 

 

ゴッホは、たぶん、今ごろ日本のどこかに生まれ変わっているかもしれませんね。

そして、新しいテクノロジーを駆使して

鬼のようなグラフィック・アートを作っているのではないでしょうか。

 

 

 

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