シャモとウタリ~先生の思い出(再掲)

 

(2014年のブログ記事から再掲です)
私が大学時代に民俗学を習った先生は、
たびたび北海道に来ては故・萱野茂さんと研究をされていて、講義ではその時のお話を聞かせてくれた。
ある時、よく萱野茂さんのもとで一緒に作業をしていた地元のアイヌ民族の方が 先生に「あなたは、ウタリ(仲間)だ」と語りかけた。
先生は、すぐさま
「ちがう。私はウタリではなく、シャモ(和人)だ。あなた方の土地に来て、こうして研究をしているだけのシャモ(和人)だからウタリ(仲間)とは呼ばないでほしい」
と答えた。
「ウタリ」と呼びかけた方は、大変驚いていたそうだ。
その時の話をしながら、先生は
「一緒に何かを成し遂げようとする時には、自然と仲間意識が芽生えてまるで友達のような親近感がわく。
けれども、自分の研究や自分の学びのためにその人たちの力を借りている以上、ウタリ(仲間)になってしまうことは自分の所在をあやふやにする。
自分の目的と責任をもってその人たちに関わるならば、ウタリ(仲間)になる、というのはその人たちや自分を欺くことなんだ。」
と言われた。
先生に数年間教えて頂いたけれど、私は民俗学の専門に進むことはなかった。
その代わりに、先生の姿勢や思いを語ってくれた言葉を覚えている。
中でも今回のエピソードは折にふれて思い出す。
自分の学びや目的のために協力を頂く相手には、常に誠意をもって接していきたい。
関係が近しくなると、まるで友達のような感情を抱くこともあるけれど
それはやっぱり違うのだと 身をもって体験したことが何回もあった。
先生の講義を数年間受けて、
教室を過ぎて行った学生の一人として、今でも先生に学んでいる気がします。

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